石巻の旅【南三陸へ】

きーちゃん

2013年04月10日 14:50

スペース千人風呂に挨拶を済ませ宮城観光に出た。お昼前。丁度小腹も空いて来た。
昼飯の場所は決まっていた。
南三陸の「おおもり食堂」だ。
再び三陸自動車道に乗って北上。3時間足らずの仮眠だったけどスッキリ気分。
車窓には黒々とした畑が広がっている。ここにも海水が来たのだろうか。
畑の景色の遠く向こうにはたおやかな真っ白な山が霞んで見える。神々しい。北上山地だろうか。

自動車道を降りて東へ。山間の道をクネクネ走って行くと、道沿いの山際の植林が地面から4〜5m辺りまですべて伐採されていた。塩水で植林は枯れてしまったらしい。こんな山間まで津波が来たのかと驚かされる。

右左とカーブの多い道からまっすぐ平坦な道に変わった。街に入った。
街に入った事はわかったが、辺りには街の雰囲気はない。
広大な空き地、至る所に停めてあるダンプカー。大きなコンクリートの建物。取り残されたように不自然に残るほんの僅かな住宅。
小高い土地に平然と立つ家。傾いた電柱。寸断された鉄道の高架。本当に何もない。息を呑む。

しかし殺伐とした中にもしっかり動いている。
コンビニはすべてプレハブだが営業している。小さな店もプレハブで営業しているようだ。たくさんのプレハブ店舗が軒を連ねて商店街を作っていたりもする。乾いたガタガタの道には砂埃を上げて行き交う車も多く観光バスも目につく。
我々も『南三陸さんさん商店街』に立ち寄ってみた。




けっこう有名らしいがテレビを観ない私は全く知らなかった。

たくさんのプレハブ店舗が建ち並び、まるで村のようだった。



お客も土曜日とあってか賑やか。網で焼かれる海の幸の煙がたまらない香りだ。そのまま夕暮れまで宴会でもしたくなった。
そんな中、某有名冷凍食品会社が餃子鍋の炊き出しをしていた。不思議だ。観光客のほうが圧倒的に多いのに・・・。
どうやらただの宣伝だったようで、我々観光客にもすすめてくれた。
この地とはなんら関係のない冷食炊き出し、我々も困惑しつつも列に並び頂いたが、私だけ食べなかった。食べる事が出来なかった。
深い意味はない。この後に行くおおもり食堂でのホルモン&ビールを最高到達点にしたくて我慢しただけだ。食い意地が張っている証拠だ。



活気のあるさんさん商店街をあとにする。笹かまぼこを買った。

砂埃の中を走る。



前方には鉄骨の骨組みのみとなった建物が見えて来た。そこに車を停めた。

南三陸防災対策庁舎だ。
テレビでも頻繁に報道された建物の亡がら。

津波が迫るぎりぎりまで防災無線で市民に避難を呼びかけ続け、ついには3階屋上に避難したがそれを遥かに超える津波に残ったのはたった10名。多くの職員が間に合わず、屋上に行き着いても圧倒的な水圧に押し流されたという。
私はこの話を赤沼サンからその場で初めて聴いた。
震災直後はテレビを付けっぱなしだったが、耐えられず、眼を背けてしっまた。
その話を聴く迄もなく、鉄骨剥き出しになった建物の佇まいは圧倒的だった。息苦しくなり、顔が熱くなった。
防災庁舎の一階部分には献花台が置かれ、多くの方々が手を合わせていた。ハンカチで目頭を押さえ、遠巻きに見る人も居る。
私は近づかずに無言で建物を眺めた。写真は車の降り際に収めた一枚のみ。





街の中を走っているが建物も何もないのでその感覚はない。
間もなく「おおもり食堂に着いたよ」と赤沼サンに言われ辺りを見渡す。

山際の荒れ地にポツンと立つプレハブの小屋がおおもり食堂だった。



後方の高台の家も一階部分に被害の後が残る。




息苦しい気分を一蹴する様な店構え。すごいエネルギーを感じる。
おかげで気持ちは名物ホルモン丼とビールにすんなり変わった。お安い奴だと自分でも思った。お腹の空き具合も喉の乾き具合もバッチリだった。

どしても長くなっちゃうので続く・・・。



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